道具一覧
煙管
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01494煙管煙管 玄々斉 淨益
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02612煙管如心斎好筋煙管一双 浄益作
《長さ14.4寸》【中川浄益】 千家職方 金物師 錺師 現在11代にて中断。【11代浄益】 名 吉右衛門 不言浄益 号 紹真 平成20年没 87歳
製作中
04764煙管淡々斎好銀杏形キセル一式 浄益作製作中
煙草盆
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01681煙草盆如心斎好一閑莨盆一双 一閑作 即中斎書付
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02589煙草盆兼中斉好桐櫛形莨盆 誠中作
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03224煙草盆兼中斎好 糸巻透木地莨盆 誠中作
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04153煙草盆鵬雲斎好 萩丸手付莨盆 好斉作 鵬雲斎
《径21.6㎝ 高さ16.2㎝》【解説】昭和45年に鵬雲斎が好んだ煙草盆。上下の枠は桑、丸く萩を束ねて囲っている。取っては桑の木を曲げたもので、銀製の銀杏の金具で止めている。【初代 萩井好斎】 大阪の指物師。〜昭和48年(1973)二代芦田指真に師事。木遊軒を名乗る。昭和32年(1957)淡々斎に好斎の号をもらう。
製作中
火箸
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00182火箸鵬雲斎好 桐の実頭 浄心 鵬雲斎
【解説】 鵬雲斎昭和41年の好み。頭は桐の実が熟し、中の実が見えるという意匠になっている。桐の実は、古来より鳳凰が好むといわれている。

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00183火箸鵬雲斎好 桐実頭飾火箸 大西清右衛門
《商品番号00182と同じ飾火箸ではありますが、先代浄心と当代では感じが違います》
製作中
01488火箸淡々斎好 飾火箸 銀杏 10代淨益作
《長さ 1尺》【10代中川浄益】 明治13年(1880)~昭和15年(1940) 9代浄益長男 紹心

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04628火箸唐物火箸 如春所持
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花入
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00004花入 竹尺八 正玄 碌々斎 銘ヒナ鶴
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01500花入竹尺八花入銘徒能毛し(たのもし 吸江斉作
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03334花入松園作備前焼花入製作中
04087花入峰越窯備前耳花入久田書付製作中
04265花入鯉耳花入 慶入作
【解説】   ≪慶入≫ 文化14年(1817)~明治35年(1902) 丹波桑山郡千歳村国分庄の造酒屋小川家の3男。旦入の娘婿。 弘化2年11代吉右衛門襲名。明治4年隠居。 諱善貫   ◆薄端の花入れは、唐物古銅に多く見られます。楽焼では、3代道入の作品が有名です。楽では、最初かもしれません。一説では、宗旦の好みともいわれています。

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04330花入仙叟在判蹲掛花入(又.鵬)製作中
04336花入唐銅龍耳細花入
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04795花入瓢花入 碌々斉書付
品名 瓢花入 碌々斎書付 銘 飛鳥山その他 碌々斎箱書付 丙午秋瀧の川観楓之砌携〇フクへ〇作之解説  箱書きから見るに、碌々斎古希の節、東都名所王子瀧の川(現在の北区王子)にて有名な紅葉を愛で、その折にこの花入を作ったと読めます。年は、明治39年となります。銘の「飛鳥山」は、瀧の川を有する場所の名で、現在飛鳥公園となっています。 【碌々斎】  表千家11代家元 天保8年(1837)~明治43年(1910)名 宗左 宗旦(隠居) 号 碌々斎・瑞翁・碧雲軒

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04796花入竹置筒花入 惺斎 銘蓬莱製作中
04813花入如心斎判竹太鼓形花入 碌々斉箱
《径3.10(9.4㎝) 高さ2.76寸(8.4㎝)》
製作中
04823花入小田原形花入 益田鈍翁好書付製作中
菓子器
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01442菓子器鉄仙蒔絵喰篭 時代
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01627菓子器和全作 呉須赤絵喰篭
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01879菓子器青釉饅菓子器 左入(惣吉)
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02446菓子器ギヤマン菓子器
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03130菓子器赤絵玉取獅子菓子鉢 真葛
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03723菓子器象彦造 桐蒔絵菓子椀 好宗興
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03902菓子器唐津焼手付鉢 時代
《径6.65寸×5.75寸 高さ3.9寸》
製作中
04036菓子器高台寺蒔絵喰籠 柳菴作 即中斎製作中
04341菓子器草花蒔絵銘々皿(5)砺波宗斉作
No04341 草花蒔絵銘々皿 5客 砺波宗斎作 【 二代 砺波 宗斎 】 となみ そうさい 1918~ 大正7年(1918)石川県金沢市生まれ。昭和21年畠山錦成に師事して日本画を学ぶ。 昭和25年より父・初代砺波宗斎にきゅう漆を、従兄弟である大場松魚に加飾を学ぶ。 昭和36年第8回日本伝統工芸展初入選。昭和59年日本伝統工芸展で日本工芸会会長賞。 日本工芸会正会員。金沢漆芸会会員。

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04454菓子器色賛り銘々皿5 宗哲工房
《径5.35寸 高さ0.9寸》
製作中
04730菓子器青交趾若松絵小喰籠 正全作
《幅4.1寸、高さ2.9寸》【永楽正全】 明治13年(1880)~昭和7年(1932) 永楽家15代 14代得全妻妙全の甥 妙全没の昭和2年より亡くなる昭和7年までの5年間のみ15代正全として活動。それ以前は、妙全の代作。建仁寺竹田黙雷より「正全」を受ける。
製作中
04814菓子器一閑作不仙斎好 山道盆製作中
懐石道具
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00035懐石道具 利休形風炉用飯器 宗哲
【解説】利休形として伝わる飯器です。現在は、流儀によりこれを風炉の茶事で用いています。手がついているので、手飯次ともよんでいます。金製の杓子を合わせるのが一般的です。これも、浄益作の黒味色の杓子が付いています。塗の宗哲は3代となります。

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03524懐石道具唐津汲出5客 自然製作中
03585懐石道具玄々斎好 古曽部焼信玄弁当5客
《径3.97寸 高さ3.83寸》
製作中
04147懐石道具盆溜塗鉋目横長膳製作中
04189懐石道具南鐐小匙 浄益作製作中
04190懐石道具南鐐小すくい匙製作中
04334懐石道具志野焼 酒次 時代
04334 志野焼 酒次 時代    江戸時代後期の志野焼。火色がとても綺麗です。

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04340懐石道具朝日焼 柴舟形向付(5)
No04340 朝日焼 柴舟形向付 5客朝日焼きは、遠州好みの茶器を作る「遠州七釜」として知られるが、慶安年間(1648~1652)頃に一時絶がえている。その後、幕末の文久元年とも慶應年間ともいわれる時代に、松林長兵衛が再興し今日に至っている。この作品は、復興した朝日焼きの初期の作品と考えられる。

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04342懐石道具溜塗一閑長盆(大小) 一閑作
溜塗一閑長湯盆大小 飛来一閑作現在は通称として「長盆」といわれ、懐石の椀などを複数個まとめて持ち出すのり便利なものとして使われるが、元来は、懐石の最後に湯桶を持ち出すためのお盆であり、この作品の箱書きも「長湯盆」としてある。

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04434懐石道具上り子椀 坪椀 平椀 5客組 8代宗哲
【上り子椀】 利休形といわれている。口が反っているのが特徴。飯椀、汁椀、坪椀、平椀の組になっていることが多い。この内、平椀のみが碁笥底になっている。 【8代宗哲】文政11年(1828)~明治17年(1884) 名:八郎兵衛 号:到斎 大徳寺大綱和尚より学ありとして「聴雨」の号をもらう。精力的に仕事を行うかたわら、俳句などの趣味も多才であった。井伊家「月次茶器」碌々斎好「既望棗」などが有名。
製作中
04572懐石道具覚々斎好 蛤向皿(5) 了入造
覚々斎好なのでおそらく本歌は 左入または長入の作ではないでしょうか。 覚々斎は延宝6年(1678) 久田宗全の子として生まれました。 宗全は表千家5代隋流斎の兄にあたり 久田家の当主として活動をしていました。 隋流斎には跡取りがおらず、 自身の出でもあった久田家より兄宗全の長男覚々斎 (当時 勘太郎)を養子としてむかえています。 覚々斎の時代は茶の湯人口が急激に増えたといわれています。それゆえ好み物という本人が良いと思う形などで茶道具を作ることも多くなっています。 特にこの時代の茶会は、現在でいう茶事のことを指すことが多く、おのずと茶事道具の好物が多くなっています。とりわけ、覚々斎は蓬莱絵煮物椀や向付など多く見られます。 この蛤向付は、楽家9代了入の作であり、楽の印から了入中期(33歳から隠居56歳)の間の物とわかります。

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04727懐石道具古染付皿7枚
《径5.0寸 高さ1.45寸》
製作中
04816懐石道具平安十匠作 草花絵替煮物碗 10客
平安十匠■井田宣秋明治25年(1892)生 迎田秋悦師事 ■清 (不明)■鈴木表朔(二代)         明治38年(1905)生  1991(平成3)年逝去表流の継承者■堂本漆軒明治22年(1889)生 画家堂本印象兄■逞慥 (不明)■水内杏平明治42年(1909)生 2001年没 迎田秋悦師事■吟竹■ (不明)■中村弘子 昭和7年(1932)生 2005年没 千家職方 中村家12代■山田豊 号 楽全  昭和5年京都市立美術工業学校漆工科入学■雅也三代鈴木表朔 昭和7年(1932)生

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04824懐石道具黒糸目カンナベ一対 初代久宝作
【初代久宝】 明治7年(1874)~昭和22年(1947) 文化人との交流も深く、最初、作陶は趣味としていました。 その後、裏千家の13代 円能斎に技量を認められ、 久宝の号を拝受しました。14代淡々斎にも好意にされ、多くの好みものを制作しています。
製作中
04826懐石道具うるみ塗八寸 荘兵衛作製作中
蓋置
ID 部門 道具名 写真
00322蓋置唐金糸巻蓋置 時代
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01314蓋置赤楽一閑人蓋置 旦入
【十代旦入】 寛政7年(1795)~安政元年(1854) 幼名 惣治郎。諱 善愷(よしすえ)。了入の次男。長男惣吉早世のため文化8年(1811)に吉左衛門を襲名。

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01341蓋置竹蓋置一双 正玄作
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02945蓋置大樋9代飴輪蓋置
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02971蓋置竹蓋置 炉 碌々斉在判
《径1.68寸 高さ1.79寸》

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03363蓋置モール一葉蓋置 浄益作
《径1.84寸 高さ1.78寸》
製作中
03590蓋置井桁鳥居蓋置 長野烈工房製作中
04148蓋置蓋置白井半七 薄蓋置製作中
04236蓋置青華蓋置 竹春作製作中
ID 部門 道具名 写真
00015了々斎好 姥口刷毛目釜 了保 了々斎
啐啄斎好み鉄道安風炉に合わせて 了々斎が好んだ釜。 表千家に伝わる物の箱書きには、 了々斎により 「文化八末年閏二月中二ノ九  佐兵衛初テ作不審庵へ寄附之」とあります 文化8年は、了々斎が家元を襲名した 3年後で、37歳のときにあたります。 【奥平佐兵衛】 ~嘉永5年(1852) 大西家9代淨元の次男にあたります 大西家8代淨本が早世したため、 大西家7代浄玄の門人で 信濃国飯田奥平善四郎の子 巳之助が大西家に養子に入り 9代淨元となります。 その後淨元の子二人の内、 長男は10代淨雪として大西家を継ぎ、 次男が奥平性を名乗り 奥平家初代となりました。 通称佐兵衛、号了保。 なお、大西淨元も佐兵衛を 名乗っていましたので、 こちらを佐兵衛淨元、 奥平を佐兵衛了保などと言います。 兄の大西家10代淨雪と共に、 近世の名人といわれ 多くの作品を残しています。 ・径24cm 高15.8㎝

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00619梔子環付筒釜 大西淨久作
【解説】大西浄久作 のんどり釜。「のんどり」とは、方言で「のんびり」の事を指すそうです。撫肩で優しい感じがします。鐶付は、梔子の実です。作者の大西浄久は、京都大西家2代、名工として知られる「浄清」の弟で、やはり名工として名を馳せています。小堀遠州の釜師であり、綺麗な肌が特徴です。

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02063博多芦屋平丸釜 風炉 垤志極
【脇芦屋】 中国漢の時代釜は「フ」といわれ、 物を煮るためのものでした。 その中で湯を沸かすものを 「鍑」(フク)と称していました。 日本に伝わり、 江戸時代の始めころまでは、 鑵子(カンス)と呼ばれていました。    釜の日本への伝来は、 中国と新羅からで中国からのものは、 主に西、代表的には筑前芦屋  新羅系統は東、代表的には 天命と言われます。    その後茶の湯の隆盛などに伴い、 芦屋 天命などを中心に 釜が作られますが、 その後諸事情による芦屋の衰退により、 芦屋の工人が全国に流れます。 また、天命も授受に生産を 減少させていきます。 代わりに重要が多い京都などに その生産拠点が移っていきます。 一方流れた芦屋の工人は全国各所で 制作に携わります。 「越前」「伊勢」「播磨」 「博多」「石見」「肥前」 「伊予」「河内」として分類し、 通称「脇芦屋」と呼んでいます。 【博多芦屋】 芦屋より移住した職人が中心に 制作に関与しています。 黒田長政が博多に封じられたとき 築城また武器鋳造のため 芦屋より呼び寄せたことが大きく 影響しているようです。 材質は、従来の和銑と違い 南蛮鉄が中心です 溶解温度もやや低く、成分上柔らかく 加工が容易なのが特徴です。

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02716少庵好 巴霰釜 庄兵衛作
少庵好みは切掛の霰平釜で 鬼面鐶付、古天明釜の底と蓋を 作りなおしたもので、掻立鐶の共蓋に 巴紋を鋳出してあります。 『大西家釜形図』に 「少庵好 霰巴釜 本家鴻池善右衛門 に有。古天猫作を以造り直し、 底井蓋少庵好之、外箱に天明と有之、 内箱宗旦書付利休所持と有り」 とあります。 ・初代庄兵衛 江戸時代中期の釜師 芦屋釜を写しが巧みで、肌は中荒肌が多く 焼抜はあまり見当たらないといいます 共箱もありますが、箱書きには 「釜師庄兵衛」とあるのみといいます

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03336古天明透木釜 大西極
囲炉裏を茶室に取込んだ侘茶創設のころの釜は、日常雑器を転用しているものが多く、「平釜」「手取釜」「丸釜」の3種と言われている。この釜は、典型的な「平釜」であり、日用の釜であったことが想像される。【天明釜】  下野の国佐野にて制作された釜。多くは、素紋、鐶付も遠山などの簡素なものが主流。  侘茶の創成期に好まれ、利休所持と伝えられる釜にもいくつか存在する。

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03498鵬雲斎好桐紋筒釜 3代与斎作 鵬雲斎書付
《径5.65寸 高さ7.5寸》【解説】 昭和47年の鵬雲斎宗匠お好み。風炉用。肌は石目。正面に花を付けた桐が2ケ、裏には桐1ケが鋳出されている。鐶付は鳳凰。蓋の摘みは、独楽に透かしの扇。座は七宝。【3代角谷與斉】 昭和13年生まれ。2代與斉の長男。昭和54年3代與斉襲名。人間国宝角谷一圭は叔父にあたる。
製作中
04496真形釜 慶長時代
真形釜の形や鐶付の位置から 筑前芦屋の流れを汲む「脇芦屋」 であると思われます。 長野姪志氏も石見芦屋の 様だと書いています。 また、雅味があるとも書いていて、 侘茶の風情を感じます。 ・径8.55寸 高さ5.85寸 口径4.4寸
製作中
04694肩付糸目釜 伊予芦屋 長野垤志極
04694 肩付糸目釜 伊予芦屋作 長野垤志極 伊予芦屋は、四国伊予地方特に愛媛県川内町を中心に作られた釜で、文献「萬寶全書」には太閤時代と記述があります。伊予釜はよく、伊勢釜と間違えられることが多いようです。確かに似てるところが多いのですが、伊予釜の特徴は、肩付釜が多く、肌に糸目を施しているものが多いことでしょう。 この釜は、長野垤志氏の極めにて慶長時代の作品とされています。鐶付は茄子、やや温いところも伊予釜らしく思われます。肩に菊の図があるのですが、錆にてはっきりとはわかりません。共蓋と唐金蓋がついています。

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04801又妙斉好住吉釜 彦兵衛作 鵬雲斎書付
【住吉釜】 又妙斎好 風炉用 大正5年(1916)住吉神社にて昭和天皇の立太子を祝う献茶式が執り行われた。この記念に住吉大社に伝来する芦屋釜を写し又妙斎が好んだもの。吉向作の住吉風炉も好まれ添っている。合わせて、炉用も好まれた。
製作中
建水
ID 部門 道具名 写真
01989建水信楽焼建水 貞光
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02549建水碌々斎好海松桶建水 利斎作
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04678建水南蛮内渋建水
04678南蛮内渋建水南蛮焼は、東南アジア・中国南部産素焼陶器の総称ですが、種類は様々です。内には釉薬のかかっているものもあります。16世紀初頭頃から茶人に珍重され、特に水指、建水、灰器が有名です。内渋とは、水等が漏れないために施されたのでしょうが、産地にて行われたか、日本にて茶人の要望にて行われたのかは、不明です。此の建水は、典型的な南蛮内渋のもので、大きさもこのように建水としてちょうど良いものは、貴重です。

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香合
ID 部門 道具名 写真
00079香合 染付写ハハ鳥香合 即全
【ハハ鳥香合】型物香合番付西方前頭二枚目に記載されている、染付香合です。ハハ鳥とは、ムクドリ科に属するハッカチョウ(八哥鳥)ともいわれています。中国景徳鎮窯にて明末から清朝にかけて作られたものです。

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01562香合吸江斉好 菊置上香合 印章拝領記念
紀州徳川家10代藩主治宝は、 隠居後和歌山西郊に造営した 別邸西浜御殿内偕楽園にて、 文政10年に楽旦入、保全、 仁阿弥道八らを招き 御庭焼(偕楽園焼)を行った折、 保全に対し「河濱支流」の金印と 「永楽」の銀印を与えました。 保全は、その印章披露のため 翌年この香合を200個制作し、 知人に配りました。 蓋裏に「河濱支流」 底に「永楽」の印を押しました。 吸江斎が好みとして朱書を蓋裏にしています。 ・永楽保全 (1795-1854) ・吸江斎(1818-1860) ・江戸時代後期 ・陶磁器 ・径6.8cm 高さ3.3cm

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02586香合萩独楽香合 12代新兵衛
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02685香合了々斎好 踊桐香合 了々斎書付製作中
02872香合青貝唐松香合
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02961香合了々斎好踊切香合 了々斉
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03078香合青貝虫香合
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03331香合唐物青貝梅竹香合
《径2.4寸 高さ1.0寸》
製作中
03550香合堆朱香合
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03870香合狸香合 神岡文山作
《径1.55寸 高さ1.75寸》
製作中
03956香合木魚香合 蘇山製作中
04006香合鈴虫蒔絵丸香合 時代製作中
04042香合かつお香合
《横4.65寸 縦1.55寸 高さ1.35寸》
製作中
04471香合一入作烏帽子香合(不見斉.坐忘斎箱書)製作中
04472香合一燈手造 鳥香合 坐忘斎箱書製作中
04631香合古染付四方香合
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04763香合檜扇貝香合 萬象作 淡々斎書付
《横径2.85寸 縦径2.6寸 高さ0.95寸》 【桧扇貝】赤、橙、黄、紫などの色を持つ二枚貝で、桧扇に例えられこの名がある。中に金箔などを施し用いることが多い。【橋村萬象】橋村家の祖先は、奈良で仕事をしていたが、平安遷都の時に京都へ移住。その後、又左衛門の名で御所禁裏ご用の「有職御木具師」を務めていた。昭和になり、当時の又左衛門が萬象を名乗り、茶器木具師として、初代橋村萬象を名乗る。
製作中
04782香合萬古焼袋ねずみ香合 淡々斎
No 4782品名 松坂万古焼 袋鼠香合作者 佐久間芳嶙作その他 淡々斎書付解説【万古焼】三重県伊勢の万古焼は、元文年間(1736〜41)、桑名の沼波弄山*1が初め、万古不易(ばんこふえき)(永久に変わらないこと)から万古焼と名乗ったと言われています。弄山の死後に廃絶しますが、天保2年(1831)、桑名の森有節が復興して有節万古を作り、弄山の遠縁の松阪の豪商・国学者の竹川竹斎が安政2年(1855)、射和万古*2を作ります。【松坂万古】安政三年に松阪の佐久間信春が焼き物を始め、百々川(どどかわ)焼と名乗り、やがて射和万古の技法も取り入れ、二代芳春が錦花山焼開窯し、その後徳和焼と改称した。更に三代目の佐久間芳嶙(ほうりん)が、大正の初頃小津笹川庵*3より松阪万古と名つけられ、昭和10年裏千家14世淡々斎から、御好窯として「松古」の印を賜り「松古窯」と命名、裏千家の出入りとして現在に至ります。*1【沼波弄山(ぬなみろうざん)】1718-1777 江戸時代中期の陶工。享保3年生まれ。万古(ばんこ)焼の始祖。伊勢(三重県)桑名の豪商で,茶事・作陶をこのみ,元文のころ朝明郡小向(おぶけ)村(朝日町)に窯をつくる。晩年は江戸向島に窯を築き,将軍もおとずれたという。安永6年9月死去。60歳。名は重長。通称は五左衛門。別号に寸方斎。*2【射和万古(いさわばんこ)】 射和万古は、古万古の再興と殖産興業(しょくさんこうぎょう)の理想をかかげた竹川竹斎(たけがわちくさい)(1809~82)が安政3年(1856)に開いた窯である。竹斎は絵付師の服部閑鵞や陶工の井田己斎・奥田弥助・近藤勇らを呼び寄せ、多種多様の製品を製造したが、やがて経営不振に陥り、7年後の文久3年(1863)に廃窯した。*3【小津笹川庵】 名は茂右衛門 号は浜萩(ヒンテキ)明治10年9月1日生まれ 昭和39年9月1日没 松坂の豪商小津家の14代 事業の傍ら詩歌をよくし、浜萩の名で知られる。書画、骨董 も好み、また茶道は、明治44年に邸内に笹川庵(4畳半)を建て、淡々斎他を招いての稽古をしていた。

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ID 部門 道具名 写真
00139 柳にうぐいす画賛 大網
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00177 無門関 寂室元光
《幅116㎝ 長さ63㎝》 【寂室元光】 正応3年(1290)~貞治6年(1367)。備後美作の人。近江永源寺開山。31歳のとき入元、天目山の中峰明本に参禅し、その「山居思想」をしたい、生涯世間との交渉を断ち、天皇・将軍などの招致も固持。権力をもしりぞけ山中に隠遁の生活を送った.書をよくし、特に偈頌に長じていた。
製作中
00490明歴々 大鐵和尚 鵬雲斎書付製作中
00729呉春筆 蜘蛛の巣に散紅葉
【松村呉春】 寛保2年(1742)~文化8年(1811) 四条派の始祖。京都金座年寄役松村匡程の長男。与謝蕪村、円山応挙に学び、蕪村の南画と応挙の写実的描写法を織り交ぜ独自の画法を確立しました。俳句、茶、碁、将棋なども嗜む文化人としても知られています。松村景文は弟にあたります。京都四条東洞院に住まいがあり四条派と言われました。

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00749方南筆一行 欲行不行
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01099大徹筆一行 露堂々 鵬雲斎書付
《長さ57.8寸(175㎝) 幅9.8寸(29㎝)》 【大徹宗斗】 明和2年(1765)~文政11年(1828) 大徳寺430世 摂津国の人。 裏千家10代認得斎の参禅師として知られる、大徳寺407世大順宗慎の法系を継ぐ人で、自身も千家との関係も深く、茶の湯の好んでいたことが知られています。 【露堂々】 出典:五灯会元 露は、あらわれるの意味。堂々は、かくさないさま。一般には、「真理は、難しく隠れて見えにくいものと思われるが、実は目前に堂々と露になっている」と解釈します。

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01318坐忘斎短冊 白雲..
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02461即中斎筆一行 山雲海月情
《長さ179㎝ 幅32.5㎝》 【山雲海月情】 出典は、碧巌録53則。本来は「語盡山雲海月情」となります。山のこと、海のこと、海のこと、月のことなど天地一切のことを語りつくしたという意味になります。 天地一切のこととは、自らの心、思いを包み隠さず洗いざらしにして打ち解けるという意味です。

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02564大龍宗丈筆一行 萬歳々萬々歳
《萬歳萬歳萬々歳》 《奉勅前住大徳賜業沙門大龍叟書》 【大瀧宗丈】 元禄5年(1692)~寛延4年(1751) 大徳寺341世 玉林院住職 号簑庵 *茶の湯を好み、如心斎・一燈・不白などの参禅の師として知られる。号の簑庵は玉林院内に大坂の豪商鴻池了瑛(りょうえい)が造えした表千家7世如心斎宗左の好みによる茶室。

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03082短冊 鷲尾隆康筆 河中島
《長さ147㎝ 幅26㎝》 《読み》川千鳥 かわちどりなににこころを川しまのなみのよるよるただすなくらん 【鷲尾隆康】室町時代の公卿・歌人。正二位権中納言。天文2年(1533)歿、49才。日記『二水記』が有名。
製作中
03240大順筆一行 明歴々製作中
03400奥谷秋石自画賛 黄初平詩
《長さ186㎝ 幅33㎝》 【解説】中国の人「黄初平(こうしょへい)」の伝説を絵にして、自ら賛をしたもの 。黄初平は「列仙伝」などにでてくる仙人。15歳の時羊飼いをしていたところ道士に見込まれ金華山に連れていかれ仙人となり、不老不死となった。訪ねてきた兄に白い石を一万頭の羊に替える伎を見せた。 【奥谷秋石】明治4年(1871)~昭和11年(1936)大阪の人。森寛斎の弟子。茶道を裏千家14代淡々斎に学び、淡々斎は秋石に絵を習った。
製作中
03410大綱筆一行 無事是貴人 大玄極
《長さ160㎝ 幅25㎝》 【大綱宗彦】安永元年(1772)~安政7年(1860) 大徳寺第435世、同黄梅院14世。大徳寺南派の法系。文芸に秀で、特に茶道を好む。歴代家元、茶人との交流が深い。「空華室日記」は、亡くなる前日まで書かれており、その中に雅味のある詩二万余首を残している。
製作中
03560即中斎筆 扇子賛 東天紅 扇子掛添
《縦31㎝》
製作中
03752浩明筆一行 鶴吟千年松製作中
03773蓮月筆白蔵主自画賛
《長さ119㎝ 幅52㎝》《読み》人はかるさが野の原の夕まぐれおのが尾花やそてと見すらむ

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03803宙宝筆富士の絵自画賛 鵬雲斎書付製作中
03816蓮月軸 うさぎの歌
《長さ142㎝ 幅27㎝》
製作中
03868即中斎筆一行 霜月照清地
《長さ186㎝ 幅34㎝》

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03887川上閑雪筆 横物 寿
《長さ66㎝ 幅122㎝》
製作中
03918川上閑雪筆一行 春水緑波静
《長さ187㎝ 幅33.5㎝》
製作中
03934仙樵一行 二由一有一亦
《長さ187㎝ 幅30㎝》 《読み:解釈》二は一に由て有、一も亦守る莫れ 
製作中
03998雪窓色紙
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04311大亀筆一行 深雲古寺鐘
《長さ182㎝ 幅31㎝》
製作中
04332淡々斎一行 松寿千年翠製作中
04333淡々斎一行 稚松千歳色製作中
04407淡々斎筆 和親
《長さ114㎝ 幅49㎝》
製作中
04469軸 瑞厳筆一行 紅塵..
【解説】 瑞頑宗碩(1875~1965)=大徳寺503世(9代管長) 
製作中
04500軸 瑞厳筆一行 採菊東籬下製作中
04507淡々斎一行軸「花開有春風」製作中
04508蕪画賛「客来一味」即中斎 紅雲製作中
04716祖順筆 白雲抱幽石
【中村祖順】 大徳寺13代管長 513世 号 看見室 昭和58年没  裏千家坐忘斎宗室参禅の師
製作中
04717宗完筆 一葉落知天下秋
《長さ180㎝ 幅35㎝》【堀内宗完】 長生庵堀内家12代 兼中斎 隠居名宗心 *昭和21年兄である先代宗完の没により12代襲名。【長生庵・堀内家】表千家の茶家。堀内浄佐の養子仙鶴を初代とする。仙鶴は江戸の生まれ、京都に移り表千家6代覚々斎宗左の弟子となる。以後、表千家の重鎮としての役目を担う。当代にて13代。
製作中
04785淡々斎筆自画賛 竹の絵
【淡々斎】 明治26年(1893)~昭和39年(1964) 裏千家14世  画が得意、画家「奥谷秋石」に師事。
製作中
04787了々斎玉の絵自画賛
【了々斎】  表千家9世。安永4年(1775)~文政8年(1825)。久田家6代宗渓長男。後8世啐啄斎の養子。号:了々斎 好雪軒(剛堂より)

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04819大亀筆竹自画賛為君葉々起清風
【大亀】  大徳寺世譜511世 大亀宗雄 苗字:立花 明治32年生 如意庵を復興。  【爲君葉々起清風】  (キミガタメヨウヨウセイフウヲオコス) 中国南宋の僧「虚堂智愚」が詠んだ句  「相送当門有脩竹 爲君葉々起清風」の後半。友との別れを惜しみつつ、門まで送ると竹の葉が清らかな風に靡き君を送っているようだ。  

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04830玉舟筆一行 隔岸越山多
大阪美術倶楽部展観目録掲載【玉舟宗璠】  大徳寺185世。 同寺高林庵開山、芳春院2世。慶長5年(1600)~寛文8年(1668)。茶の湯を好み、片桐石州の帰依を受ける。号 春睡【隔岸越山多】(キシヲヘダテテエツザンオオシ)  唐の詩人、釈処黙の詠んだ「聖果寺」の一部。到江呉地尽の後にくる語。杭州の聖果寺からかつての呉と越の国を同時に見下ろし、両国が争った古事も人間が織りなす顛末の一端にすぎない、という意味。

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水指
ID 部門 道具名 写真
00013水指桃山時代 古伊賀水指
意識的に始まった茶陶としての伊賀焼の歴史は、天正12年古田織部の弟子でもあった筒井定次が国主になり世にいう「筒井伊賀」に始まります。その後、藤堂高虎・高次親子が寛永年間(1624~1644)に再興し、俗に「藤堂伊賀」と呼ばれています。その前後に小堀遠州が独自の感性にて新次郎という陶工に焼かせて物を「遠州伊賀」とよびます。伊賀焼の全盛期は桃山末期から江戸初期のわずか50年前後でこの作品もこの頃の物です。自然の流れるビ-ドロ釉は意図してできたものでない力強さがあり、長石の混ざった白土による焦げのある焼けは正に茶人好みです。

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00057水指 高取焼菱形水指 亀井味楽 即中斎
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01876水指備前種壺水指 江戸初期
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03242水指常滑焼平水指惺斎書付
【道具名】 常滑焼平水指 惺斎書付        銘矢橋帰帆(近江八景の内) 塗蓋惺斎好 【作者】 常滑焼  塗蓋10代中村宗哲作 【時代】 明治~大正時代 【説明】 常滑焼の平水指に惺斎が筋目のある      一枚蓋を好みとして当時の宗哲に      作らせています。 《常滑焼》     愛知県常滑市を産とする焼物     起源は不明     平安・鎌倉時代に盛んに量産されている     桃山時代常滑城主水野監物が利休などに紹介し、     茶会記に散見する     初期は、備前、丹波のような素焼きが中心     江戸期文化年間頃より施釉など種々のものを行う     明治に入り朱泥急須なども焼くようになる。 《10代中村宗哲》     文久2年(1862)~大正15年(1926)     8代宗哲4女     9代宗哲妻     50歳の時夫9代宗哲を亡くし惺斎の勧めにより     尼塗として家業を継ぐ 《矢橋帰帆》     現在の滋賀県草津市矢橋町       

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03802水指赤平水指 宗入作 鵬雲斎書付製作中
04305水指染付芋頭水指 永寿作
《径5.88寸 高さ5.73寸》
製作中
04314水指浅黄交趾末広水指 即全造 即中斎書付
荒磯の文様は名物裂「荒磯緞子」から 転用したものでしょうか? 交趾の色も様々で黄、紫、青などさまざまです。 永楽11代保全が荒磯模様を水指にしたのが 始まりと思われます。 以後永楽歴代が自分なりの形や色にて 製作しています。 末廣形は珍しいです

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04428水指高取水指 雪山作製作中
ID 部門 道具名 写真
02720即中斎好 小四方棚
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02861松の木摺漆丸卓 小兵衛 即中斎作
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04126桐小卓 宗完書付製作中
炭取
ID 部門 道具名 写真
00088炭取 サザエ炭取 飛来一閑作
【解説】 サザエ籠の銘は、文字とおりサザエを入れる籠から発想されたものと思われます。利休の茶会に招かれた人が手土産としてサザエをかごに入れて持参し、利休は、直ちにその籠を炭取として使用したという伝説があります。宗旦以下、千家歴代の家元が海辺の籠を好みとしています。この籠も、表千家6代覚々斎が好んだものです。千家職方「飛来一閑」の作となります。

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00211炭取淡々斎好 蛍籠炭取製作中
00675炭取了々斉好煤竹炭取 一閑作製作中
01448炭取時代煤竹炭取
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02606炭取如心斉好 栄螺炭斗 一閑
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03740炭取時代ダルマ形炭斗
《径8.88寸 高さ3.83寸》
製作中
03875炭取了々斉好油竹炭斗一閑作即中斎書付
【解説】 ■ 利休形油竹炭取を基本に表千家9代了々斎が好み作ったものです。現在は、利休形を炉用にこれを風炉用として用いています。利休形を少しこぶりにしたもので、編み方が多少異なります。飛来一閑が作っています。 表千家13代即中斎の書付。

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04815炭取ふくべ炭斗 堀内宗完書付
《径9.07寸 高さ4.82寸》
製作中
茶器
ID 部門 道具名 写真
04041茶器籠地茶器
《径2.40寸 高さ2.32寸》
製作中
茶杓
ID 部門 道具名 写真
00942茶杓桑山可斎作茶杓 高原杓庵極
【解説】 桑山可斎は、千道安に茶の湯を習い、片桐石州に茶の湯を伝授した桑山可仙の孫の当たります。茶の湯は、片桐石州に習い怡渓宗悦とともに有名な「石州三百ヶ条」の注解を行いました。元禄13年(1700)歿、88才。名は貞政・貞寄 筒は同じ石州流茶人で清水道慶です。元禄7年(1694)~延享4年(1747)。石州流清水派別家の清水静井(せいせい)に師事しています。外箱に、高原杓庵が細かく極書をしてあります。

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01037茶杓吸江斎茶杓 落葉
【解説】 表千家10代家元吸江斎作茶杓 銘落葉。吸江斎らしい、細身で、櫂先が優しく曲げられているのは、いかにも吸江斎らしい茶杓です。吸江斎は、文政元年(1818)生まれ、万延元年(1860)没、43歳。表千家9代了々斎には、長男与太郎がいましたが、文政6年に亡くなっています。更に、文政8年には、了々斎も51歳で亡くなっており、久田家より吸江斎(幼名達蔵)が、文政9年9歳にて表千家に養子に入り、家督を継ぎます。

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02093茶杓瑞厳作 茶杓 銘・かがり舟
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02621茶杓碌々斉作茶杓 銘 老鶴
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03084茶杓卆啄斉作茶杓 二百内一太刀 即中斉箱
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03674茶杓瑞厳作茶杓 銘遠山製作中
03735茶杓即中斎作茶杓 銘松風
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03789茶杓瑞厳作 茶杓 銘 千歳製作中
03796茶杓山科宗甫作茶杓 筒箱玄々斎 五十別製作中
04474茶杓正玄作 銘木枯 淡々斎自作製作中
04809茶杓又妙斎作茶杓 すみよし
【又妙斎】  裏千家12代家元 嘉永5年(1851)~大正6年(1917)20歳で角倉家からの養子として11代玄々斎の娘猶鹿と結婚。34歳にて家督を13代円能斎に譲り隠居。【秀吉作茶杓】 裏千家に伝来する秀吉作茶杓は、共筒にて秀吉の筆にて「すみよし 秀吉」と書かれている。箱は徳川斉荘(*1)(なりたか)にて「太閤自作茶杓 銘 住よし」とあります。*1【徳川斉荘】 文化7年(1810)~弘化2年(1845)尾張徳川家12代 号知止斎  裏千家玄々斎との交友が知られる。文芸を好み、特に茶道は裏千家家元より真台子を受けています。

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04822茶杓伝衣和尚作茶杓 銘 村雨製作中
04831茶杓即中斎作二つ節茶杓 銘榊
《長さ6.25寸》  【即中斎】表千家13代家元 明治34年(1901)~昭和54年(1979)。12代惺斎の次男。昭和12年家元襲名。無尽宗左。惺斎長男不言斎宗員が家元を継ぐ予定であったが、惺斎が亡くなる前年に急死したため、宗員を名乗らず家元を継いだ。即中斎の号は大徳寺「晦巌和尚(大梅)より与えられ、「説似一物即不中」より名付けられた。*箱書から見るに、昭和20年前後の作と思われます。
製作中
茶入
ID 部門 道具名 写真
00091茶入鴻池家伝来 源十郎茶入 荒木宗充 鴻池家伝
【解説】大阪の豪商鴻池家の所蔵であった瀬戸源十郎の茶入です。    源十郎という名前は、いくつか出てきますが、この茶入れ作者の源十郎は、美濃国大萱窯の開祖「加藤源十郎」のことと思います。その端正な形が特徴ですが、一説には、小堀遠州の影響があるとも言われます。大阪の豪商「鴻池家」に伝来したもので、当時鴻池家の蔵番である、「荒木宗充」の書付があります。また、遠州流家元小堀宗慶宗匠が、外箱蓋裏に書付をしております。

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02197茶入古八志路焼茶入
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03635茶入瀬戸広口茶入製作中
03800茶入唐物文琳茶入 藪内書付 鵬雲斎書付 唐物製作中
03801茶入利休瀬戸茶入 江戸初 淡々斎書付 銘松籟製作中
03889茶入織部瓢形茶入 即中斎書付 翁
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茶碗
ID 部門 道具名 写真
01764茶碗唐津茶碗 時代
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02594茶碗赤黒一双茶碗 了入作了々斉書付 鶴亀
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03545茶碗刷毛目茶碗 妙全作 淡々斎書付
【解説】  ≪妙全≫ 嘉永5年(1852)~昭和2年(1927)       永楽家14代得全(嘉永6年(1853)~明治42年(1909))の妻。得全が57歳にて死去後、永楽家の仕事を受け継ぎます。大正3年(1914)三井高棟(タカミネ)より妙全の軸を頂いております。箱書には、得全の使用した印を用い、併せて小柴庵三井高保(タカヤス)より頂戴した「悠」の朱印を押しています。 ≪永楽家の高麗茶碗写し≫      古より京焼にて高麗茶碗の写しの作ることは、行われていたようです。永楽家11代保全は、特に高麗写しを得意としており、多くの作品を残しています。妙全の写した高麗茶碗は、数は多くないようですが、女性らしい優しい、そして京焼らしい少し雅な印象を受ける作品が特徴です。

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03658茶碗大樋焼飴釉茶碗 9代長左衛門製作中
03670茶碗杉田祥平作 八ツ橋茶碗製作中
03712茶碗萩茶碗 兼田三左ェ門製作中
03797茶碗一入作黒茶碗鵬雲斎書付了入当代極 和敬製作中
03798茶碗熊川茶碗 鵬雲斎書付 閑座製作中
03799茶碗黒茶碗 2代長楽作 鵬雲斎書付製作中
03915茶碗黒茶碗旦入作当代極 鵬雲斎書付
《径3.63寸 高さ2.53寸》
製作中
03916茶碗黒茶碗 吉向十三軒作 鵬雲斎書付製作中
03978茶碗仁清写杜鵑画茶碗 祥平作製作中
04309茶碗朝日焼茶碗 而妙斎書付 庵の友
《径4.15寸 高さ2.60寸》
製作中
04370茶碗仁清写日出鶴茶碗 妙全造 惺斎書付
04370仁清写日の出鶴茶碗 妙全造 惺斎書付妙全 喜永5年(1852)~昭和2年(1927)   14代得全妻 名悠 号妙全(大正3年三井高棟より)

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04381茶碗堅手茶碗 小 李朝時代
04381堅手茶碗 小 李朝堅手茶碗:高麗系茶碗の内、素地や釉薬が硬い感じのもので磁器質に近い。《径4.40寸 高さ1.85寸》
製作中
04504茶碗庭焼玄々斎手造 若松絵赤茶碗 鵬雲斎製作中
04618茶碗紅葉絵茶碗 即全造り 鵬雲斎
04618紅葉の絵茶碗 即全造 鵬雲斎書付永楽家は14代得全が短命にて妻妙全が家を盛りたてが、昭和2年に76歳にて他界し、その後得全の甥正全が15代を直後に襲名する。しかし、正全も昭和7年なくなり、即全が昭和12年20歳にて永楽家を継いでいる。その後、平成10年80歳で亡くなるまでの60年間の永期に渡り作陶に従事してきた。 この茶碗のように胴を少し締めるロクロ廻しは歴代の中でも即全が得意としたものです。

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04709茶碗志戸呂焼平茶碗 時代
志戸呂焼平茶碗 時代静岡県棒原郡志戸呂の焼物。歴史は古いが、記録では、天正年間に美濃の陶工加藤庄右衛門景忠がこの地にきて五郎左衛門と改名して従業し、当時の浜松城主松平家康に認められたのが志戸呂の名を知らしめたはじめです。後、弟子が同名にて継ぎ、寛永年間に遠州の意匠をもって茶器を焼くようになりました。その後廃窯になりましたが、近年復興されています。この作品は、遠州時代前後の物と思われます。

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04711茶碗斗々屋平茶碗 李朝
04711斗々屋平茶碗 李朝時代斗々屋は魚屋とも書き深く薄手の本手斗々屋とこの茶碗のような平手斗々屋があります。斗々屋茶碗の特徴は、窯変の面白さにあり、この茶碗も独特な窯変がでています。赤い土も特徴的です。

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04762茶碗出雲焼伊羅保写茶碗 時代
【出雲焼】   島根県出雲地方の焼物の総称。 特に楽山焼、布志名焼が有名。 【楽山焼】  松江藩主2代綱隆が長門国毛利公より陶工 「倉崎権兵衛」を所望従事させたのが始まり。 2代加田半六と継承し4代の後一時廃窯。 宝暦6年松平不昧が布志名の陶工 「長岡住右衛門」を5代楽山窯に抜擢し現在12代。 【岡田雪臺】   松江藩主7代治郷(不昧)の養子。 後に岡田家の養子となる。

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04799茶碗長入作黒茶碗共箱当代極而妙斉 不老不死一
NO 04799品名 黒茶碗 長入作    共箱 直入極 而妙斎書付解説  【長入】   楽家(*1)7代 正徳徳4年(1714)~明和7年(1770)   6代左入長男 宝暦13年隠居し、代を長男得入に譲り自身は長入を名乗る。  *1【楽家】   楽家は初代を長次郎とし朝鮮渡来の工人と言われています。元は、華南三彩と呼ばれる明時代の軟陶系の焼き物の技術を持って来日したものです。日本で利休と極めて縁の深い田中宗慶の息子宗味の娘と結婚しています。その田中宗慶のいま一人の息子常慶が2代目を就いています。以後3代道入、4代一入、5代宗入と継承し当代で16代目となります。

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04821茶碗黒扇面茶碗 初代久宝作
【初代久宝】 明治7年(1874)~昭和22年(1947) 文化人との交流も深く、最初、作陶は趣味としていました。 その後、裏千家の13代 円能斎に技量を認められ、 久宝の号を拝受しました。14代淡々斎にも好意にされ、多くの好みものを制作しています。特に、仁清風の優雅な絵付けを得意としています。
製作中
04832茶碗井口海仙好千羽鶴茶碗2代久宝作海仙書付製作中
04833茶碗黒仁清写宝牛茶碗 即全作 鵬雲斎書付
《径4.15寸 高さ2.6寸》
製作中
鉄瓶
ID 部門 道具名 写真
00204鉄瓶 平丸筋入鉄瓶 正一製作中
風炉
ID 部門 道具名 写真
03398風炉黒眉土風炉 寄神宗白作製作中
04701風炉青釉紅鉢 慶入作
04701 青釉紅鉢 慶入作 【外径37.0㎝ 内径32.5㎝ 高さ19.0㎝】楽家11代慶入は、丹波の造酒屋の家に生まれ11歳頃楽家に入り後に旦入の婿養子となり、弘化2年に吉左衛門を襲名しています。明治4年隠居し、慶入を名乗りますが、作陶を続け明治35年86歳にて他界しています。慶入は、歴代の中でも取分け茶道に熱心で、表千家碌々斎より皆伝を伝授されています。この紅鉢は、隠居後の作品で慶入らしい落ち着いた雰囲気があります。

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04741風炉鉄地蔵堂風炉 浄元作
《径1尺8分 口径6.9寸》
製作中
風炉先屏風
ID 部門 道具名 写真
01170風炉先屏風鵬雲斎好瑞鳳腰風炉先 奥村作 鵬雲斎書付
《高さ72.2㎝》 昭和40年鵬雲斎のお好み。浅黄地の鳥の子に金砂子の雲、金彩の鳳凰を描いている。11代奥村吉兵衛作。
製作中
03049風炉先屏風黒真塗七宝透風炉先屏風 即中斎書付製作中
03589風炉先屏風利休梅縁布風炉先屏風 海仙書付製作中
04488風炉先屏風鵬雲斎好桑菊桐風炉先 光春作製作中
炉縁
ID 部門 道具名 写真
00110炉縁 栗木地 小兵衛 鵬雲斎
【解説】 京都指物師5代一瀬小兵衛作栗木地の炉縁です。 【一瀬小兵衛】 一瀬家は、千家職方駒沢家の別家として代々続く家です。当代にて6代を数えます。この作品の5代小兵衛は、昭和6年の生まれです。昭和56年に襲名をしております。

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04217炉縁近左作真塗炉縁 即中斎
【四代 川端近左】 明治24年(1891)〜昭和50年(1975)3代の兄、対吉の三男。12歳の時に三代との養子縁組を決め、3代に師事。22歳で4代近左を襲名。
製作中
04287炉縁青海波壺々蒔絵掻合塗炉縁 近左作
《幅1.4寸 高さ2.15寸》
製作中
ID 部門 道具名 写真
00074 了々斉好春野棗 利休好秋草棗一双 10代宗
《径2.52寸 高さ2.48寸》2個共【解説】利休所持秋野蒔絵棗と了々斎好春の野棗の組合せです。秋野棗は、利休の所持した蒔絵の棗の中で最も有名なものです。蒔絵の技法は、平蒔絵で最も簡素なものです。春野棗は、了々斎が秋野棗に対して好んだものです。この時も、秋野棗と一双にして作られたようです。了々斎は、この一双の棗を作り置きにて没したそうで、本歌の箱書きは次代の吸江斎となっています。この作品は、本歌とおりに写しており、大きさも同じです。10代宗哲の作となります。

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00114 つぼつぼ棗 黒小棗 宗哲作 如心斉
利休形黒小棗と如心斎好みツボツボ蒔絵大棗の組合せとなっています。黒小棗は、3代宗哲の作となっており、共に如心斎の花押が蓋裏に朱書されています。特にツボツボ蒔絵大棗は、「ワン判」という珍しい花押が書かれています。【ツボツボ】 ツボツボは千家の替え紋として宗旦が取り上げたものと言われています。伏見稲荷の小さな入れ物がその元だそうです。子供たちのおもちゃとも、新築や席披きなどの物事の始めのお清めとして売られていたものとも言われており詳細は不明です。

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01414鵬雲斎好鳳凰竹大棗 正玄作  鵬雲斎書付
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01838鵬雲斎好老松蒔絵竹平棗 正玄 鵬雲斎書付
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02521黒大棗8代宗哲 即中斎
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02924好秋草棗玉栄作鵬雲斎書付
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03681一閑張黒中棗 即中斉 一閑作
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04288妹塗ロクロ目内松葉大棗 近左作
《径2.43寸 高さ2.43寸》
製作中
04793黒小棗 隋流斉直書 久田宗利書付製作中
莨入
ID 部門 道具名 写真
02625莨入独楽煙草入 近左作製作中
茶事道具
ID 部門 道具名 写真
00142茶事道具 青楽 膳燭一対 慶入作
【解説】青釉、楽焼の膳燭です。11代慶入の作で、判から12代に職を譲り隠居した後の作品であることがわかります。膳燭とは、夜咄など夜行う茶会にて懐石時に用いられる照明器具であります。【慶入】 楽家11代。文化14年生まれ。丹波の造り酒屋小川家の子。旦入の養子となり、弘化2年(1845)に11代吉左衛門襲名。

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01130茶事道具玄鶴羽箒 鵬雲斎書付
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01746茶事道具座掃 鶴
座掃は、勝手の道具として、客の入席前や中立後に座敷を掃き清める道具であります。現在では、掃込と兼用されることが多いようですが、掃込は、小間の座敷などで、炭点前の後客前にて行うものです。 座掃は大掃込などといわれることがあり、写真でわかるように、長く大きめに作られています。

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01747茶事道具掃込 逆勝手製作中
02444茶事道具青鸞羽一羽 一閑作 淡々斎
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03854茶事道具砂張銅壺形火鉢 9代浄益作
《径9.18寸 高さ8.42寸》【9代中川浄益】 嘉永2年(1849)~明治44年(1911) 8代浄益の長男。
製作中
04171茶事道具掃込み羽 白鳥製作中
04172茶事道具掃込み羽 白鳥製作中
04209茶事道具旦入作焼〆灰器
《径6.27寸 高さ2.43寸》
製作中
04347茶事道具備前日襷灰器
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04357茶事道具仰木魯堂好 赤楽鮟鱇形手焙 大野鈍阿作
04357仰木魯堂好鮟鱇形手焙 大野鈍阿作仰木魯堂(文久3年生1863-昭和16年1941)建築家 茶人。福岡県出身。本名敬一郎。数寄屋建築家として,団琢磨(たくま)ら近代数寄者の茶人とまじわる。作品に団琢磨邸,高橋箒庵(そうあん)邸がある。大野 鈍阿( どんな) 1885年(明治18年)- 1951年(昭和26年)岐阜県、土岐郡 本名は大野 準一(おおの じゅんいち)。益田鈍翁(益田孝)により、そのお抱え職人として迎え入れられる。邸宅内に住居を与えられて、陶磁器窯(鈍阿焼)を築窯する。

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04706茶事道具玄々斎好 夜桜手燭
《横6.25寸 縦4.2寸 高さ3.0寸》
製作中
蒔絵
ID 部門 道具名 写真
03981蒔絵松葉蒔絵朱三つ組盃 長野横笛作
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04769蒔絵牡丹蒔絵平棗 時代
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その他
ID 部門 道具名 写真
01301その他鵬雲斎好 掻き合せ大板 宗哲 鵬雲斎書付
《縦1.4寸(44㎝) 横1.19寸(36.2㎝)》 【解説】 鵬雲斎宗匠好み掻合塗の大板です。現在大板は1.4寸四方の物を指すことが一般ですが、昔の寸法録などには、大の長板を半分にしたものを別名半板として載せているものを見ます。この大板は、その昔呼んでいた大板の寸法になっているように思います。 【11代宗哲】  明治32年(1899)~平成5年(1993) 号 元斎。9代宗哲の次男として生まれ、12歳で父9代と死別します。16歳で千家に出勤し、大正14年先代の印を用いて政策を初めました。俳句や書画を好み、昭和60年87歳の折に12代弘子氏に後を託し隠居しました。

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02599その他南蛮鉄梅象眼火道具一式 浄益 即中斎
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03042その他利休形腰黒やかん(小) 浄益
【道具名】 利休形腰黒薬缶(小)  【寸法】  《横5.82寸 縦5.04寸 高さ7.03寸》 【作者】  11代 中川浄益 【時代】  平成 【説明】  従来の伝来する利休形腰黒薬缶を小振りにしたものです。 《腰黒薬缶》 素銅で造られた薬缶です。 利休所持として伝来しています 火にかけることにより底から腰までが焦げており腰黒と銘々されたと思います。     茶の湯では、水次として使われています。 《中川浄益》     千家職方     初代は越後高田の人。     利休の指導にて北野大茶会に用いた薬缶を制作     11代以後の後継者は現在不在
製作中
03258その他交趾写竹茶巾筒 即全造
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03402その他久田好短冊掛 小兵衛 吉兵衛作
《縦2尺1寸1分 横2.96寸》
製作中
03536その他板文庫すずりセット製作中
04019その他香箸灰押9代浄益作
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04208その他吸江斎好桐扇子掛 利斎 浄益
《縦8.34寸 横3.13寸》
製作中
04807その他青磁香炉
No04807品名 七官青磁香炉(火入) 明末~清朝初期解説 【青磁】 青磁の釉薬は、雑木の灰を水に溶かして用いるが、その中に含まれるわずかな鉄分が、還元焼にて青く発色するものであります。 日本では、特に茶の湯の世界では、青磁を大きく3つに分類します。最も有名なのが「砧青磁」で透明感のある青色が特徴です。南宋時代龍泉窯のものが最も完成度が高いといわれています。「天龍寺青磁」は、時代が少し下り発色が黄色味を帯びています。更に時代が下り明時代から清朝に焼かれた青磁を「七官青磁」と呼んでいます。

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04820その他利休形風炉灰匙8代浄益作製作中
04828その他梅の絵香炉小 香山作 火入れ
【真葛長造】  寛政9年(1797)~万延元年(1860) 真葛焼の始祖。本名:宮川長造。号:真葛、香山。屋号:楽屋 京都真葛ケ原にて作陶していたため、安井門跡より真葛の号、また晩年知恩院華頂宮門跡から香山の号を賜る。【箱書付】  東山真葛原 楽長造

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